後に引けなくなったお話
誰しも若かりし頃のバカらしい思い出があると思います。私は今でもバカですが、若き日の私はもっとバカでした。ふと、そんなバカらしい日々を思い出すのは、今の私もやっていることがたいして変わらず、そして言われていることもたいして変わらないからだと思います。
でも、「折れられない事柄」っていうのはどんなくだらない瞬間にでも、あってもいいものだと思うのです。折れたくないんだから、折れない。どんなに自分が苦しい目にあっても折れない。泣いても折れない、死んでも折れない。折れるくらいならば苦しかったり悲しかったり恥ずかしかったりする方がまだマシだと、いつの時代も私は思うのです。
自分にしかわからない価値観でも信念でもいいからずっと持ち続けていたい。そんな私のロック魂はきっと一生変わらない…。
30代前半…
私はその日、友人に小さめのぬいぐるみのようなキーホルダーをお土産にもらいました。そのぬいぐるみだかキーホルダーだかわからない代物は、水族館に行った時のお土産だそうで、お魚的グッズの好きな私にとってはけっこうツボでした。くすんだオレンジ色の胴体にくっきりとした青緑色の点々模様。不気味といえば不気味でしたが私はその不気味さが好きなんです。ステキなものを貰ってとてもうれしく思いました。
しかし問題は、その用途です。キーホルダーにしては大きすぎますし、ぬいぐるみにしては小さすぎます。なぜ、こんな中途半端な大きさであり、キーホルダー仕様になっているのかが不思議な物体でした。
でも、好みな物体ですから、使い道は後から考えることにして「ありがとう、大事にする。」といって受け取り、その場にとりつけるモノが何もなかったので、持っていた携帯のストラップにとりあえず、つけておきました。
とりあえず、つけておいたんです。とりあえずです。
もちろん家に帰ったら外して別のトコロにつけるか、部屋に飾るかしようと思っていました。
だってけっこうな大きさです。携帯よりも大きいぬいぐるみキーホルダーなんですから、そんなものを携帯につけておいたら不便で仕方ありません。ポケットにも入れておけない携帯になってしまいます。
とりあえずつけたお魚のぬいぐるみキーホルダー。
そして私はぬいぐるみキーホルダーをくれた友人と別れ、その後約束していた彼氏との待ち合わせ場所に向かいました。
彼は、とても真面目な人です。一体私のどこを気に入ってつき合っているのかがわからないくらい、私にとっては真面目でかたくて常識に囚われている人でした。いつも私のやることに驚いたり、呆れたりしていました。
時々…というよりも、いつも私とは合わないんじゃないかとは思っていました。お互いを理解はできない、良き理解者にはなりえない関係の恋人。好きなのに「合わない」と思いつつ、つき合っていたわけです。当時、精神的な暇人であった私はこういう無駄な時間を、もったいないとは思っていなかったのです。
待ち合わせ場所に笑顔で現れた彼に、私も笑顔で声をかけます。普通の恋人同士の素敵な待ち合わせ風景に思えました。愛し合っている者同士が相手を見つけた時の笑顔。会いたくて、会いたいから、会える時の喜びに満ちた笑顔。
そして私たちは明るく楽しく会話を弾ませるのです。
「今日は何食べようか?」と彼が言うと、私は
「イタリアンがいい~♪」と答えます。
そんな和やかな空気の中、彼は私の携帯を見つけ明らかにギョッとしました。それはそうだろう、携帯にこんな大きなぬいぐるみがくっついていては思わずツッコミを入れたくなるというものです。普通です。
私は彼が普通に「なにそれ、なんでそんなぬいぐるみを?」と言うのだろうと思っていましたから、普通に友人から今もらったばかりでとりあえずつけておいたのだと素直に言おうと思っていました。
でも彼は私の携帯を見つつ、呆れたような顔で、
「あのさぁ、そういうのもうやめたら?そういうことして可愛いって年じゃないじゃない。常識的におかしいよね?そんな携帯もって隣歩かれるの俺はヤダな。」
と言ったのです。
…私は何を思ったのかといいますと…というより、思うよりも先に口はこう言いました。
「じゃぁ、隣を歩くのをやめれば? 常識的におかしくない人を見つけたらいいんじゃないの? 誰に何を思われても私は平気だし、コレをやりたくてやってるだけだから。あと、可愛い年じゃないってすっごくムカつくよね、可愛いと思われたくてやってるみたいな言い方やめてくれない?」
空気は一瞬で凍りつき、険悪なムードになり果てました。
しかも私は頭にきて「やりたくてやっている」と言ってしまったのです。やりたくてやっているわけではないのに。
しかし、彼の目には私がわざと彼の気を引きたくてやっているように映ったのでしょう。誰がそんなことをするか大バカ、と突っ込むのもムカつくほど、そんなチンケなことをする女だと思われたことに無性に腹が立ちました。
そもそもそんなことをして気を引きたいほどおまえを好きなわけじゃない。そんな感情が膨れ上がりました。
凍りついた空気の中で、冷ややかなケンカのゴングが鳴り響き、愛を育むべき恋人同士は「プライドに関しての争い」という醜い戦いを決行することになってしまいました。
「おかしいものをおかしいからヤメロと言って何が悪いの?俺の言ってること正しいと思えないほど頭悪くないでしょ?」
彼のインテリ風味な言い方はツボではあるけれど、本当はカンに触る方が多いということがわかり始めた今日この頃な私は、この時点でこの男はもういらないと思いました。
だいたいこれしきのことで「隣を歩きたくない」とはどれだけ肝っ玉の小さい男であるか。一瞬にして無くなってしまった愛しさは憎らしさに変わり、大きな声で
「あ~あ、キンタマのちっせーオトコ。最低。」
と、その場で叫んでやりました。本当は肝っ玉ですが、わざと間違えたフリをしてキンタマにしてあげたのです。こんな時は私自身がなんと思われようが、コイツが死ぬほど恥ずかしい目にでも会えばぜんぜんいいのです。
変なことで目立つことが大嫌いな彼は(まぁそれが普通)、人の目を気にしておろおろし始めます。これしきのことで動揺を隠しきれなくて私に敵うとでも思っているのだろうか。だとしたらかわいそうではあるけれど、かわいそうだと思えば思うほどもっともっと追い詰めたくなってしまいます。悪魔のような黒い魂が舞い降りてきて、ニヤリと笑う私の顔を見た彼のその情けない表情が、私を止まらなくさせるのです。
私は彼の顔をゆっくりと下から覗き込み、今度は小声で可愛らしく
「あっ、ごめぇん、キンタマじゃなくて肝っ玉だった。」
と、言ってやりました。
私の挑戦的な態度に、彼のひきつった表情。
そして私は止まらない。
「ま、どっちだって似たようなもんだよね。総合的にどこもかしこも小さいってことだよね。私は魚一匹にごちゃごちゃ言ってるウンコ野郎はもういらないから速やかに別れようぜ。あ、あとね、私はあんたの言ってることは正しいとは一生思えないくらいのバカだから、あんたの言うところのバカじゃない女でも探したらいいんじゃないの?」
「ちょ、ちょっと待ってよ、そんなにその魚大事?」
彼は私が怒っている理由がわかっていない。魚が大事かと聞く時点でやっぱり解り合えないことがわかります。でももう説明する気もないし、したくもないのです。
「この魚は私の命だ。」
と、適当すぎる適当なことを言ってやりました。
私は、たかが「お魚」で、大まじめな別れ話ができる変わった女でした。
折れられないと思ったら、その原因が何であれ死んでも折れません。後には引けないのです。その後にどんないいわけをされようと、どんなに謝られようと、どんなに冷静になった自分が何もこんなことで別れなくてもいいのでは?と思ったとしても、やっぱり好きでもあるんだから寂しいな…と思ったとしても、前日まで甘い愛をささやき合っていたとしても、失う覚悟ができていないことでポッカリと心に穴があいたとしても……一人密かに泣いたとしても、でも絶対に後には引けない、折れない、決めたら後ろは振り向きません。
どのタイミングでどんな人を失っても、それが悲しくてやりきれなくても、それでも私はそのターニングポイントの選択を貫きます。
あれから10年以上たった今考えれば、その時の彼がかわいそうだとも思えます。
おそらく彼にとって私は、ちょっとおかしくて放っておけない女であり、自分が何とかしてあげなくてはいけないと思う対象だったのでしょう。でも私にとってはそんなのは超余計なお世話なのです。その辺の考え方自体が合っていなくても男女間の恋愛感情なんていうものは育ってしまう場合もある…まぁ、それが若さかなと思います。
それでも頑なに、どんな小さなことでも私の自由を奪うような発言を一切許さず、妥協しなかったからこそ、今の私の自由があるのです。折れられないことはどんなにくだらないことであっても折れない方が、いいのです。
そして、歳をとってちょっとだけ丸くなった今、そんな若かりし頃のアホらしい真剣な会話をふと思い出すような瞬間があります。
私は男性に何を求めるのかというと、絶対的な自由です。好きにさせてもらわないと死んでしまう体質なのです。でもその自由の意味は主に精神です。
自由にもいろいろな意味があります。
あれをするな、これもするな、も、別に愛情ゆえのことならば別に自由を奪われているとは思いません。そんな可愛らしい拘束くらいなら特に気にならないし、そんなもんはしっかり頷いておいて、どうしてもやりたければバレないようにやればいいだけのハナシ。バレて失う可能性のパーセンテージと相談しながらバランスよく好きな事をしていればいいだけです。(失敗もたくさんしたけど)
だから、それはそれでいいんです。
嫌なのは……
今現在、私はダイオウグソクムシのアホみたいに使いづらい携帯ケースを使用しています。ポケットには入りませんし、外さなければ写真もとれません。
そんなケースを使っていると、お魚キーホルダーを思い出す時があります。バカとかアホと言われても別にいいのです。全く持ってその通りなのですから。それを肯定しろだなんて少しも思っていません。
でも、やめろと言われると私はたちまち嫌になります。
特に、自分の為にやめろと言われるのが一番嫌。
「オレが恥ずかしいからやめろ」
だけはやっぱり許せません。
だったら頭のおかしくない女を選びなさい。
私の頭は最初からおかしくて、この先治ることはないし、治す気もないのですから。と、思うのです。
そして、今でも思っているのです。
そのままでいい、好きなようにしとけ…と放し飼いしてくれるような人に見守られて、好きなようにしていられるのが一番幸せなことだと思います。
それにしても、ダイオウグソクムシの携帯ケース、確かに愛があるんだけどいつまで使い続ければいいのかな、最近、トレードマーク的存在になりつつあるグソクムシくん、別な意味で手放せなくなりそうでちょっと怖いわ(爆)

でも、「折れられない事柄」っていうのはどんなくだらない瞬間にでも、あってもいいものだと思うのです。折れたくないんだから、折れない。どんなに自分が苦しい目にあっても折れない。泣いても折れない、死んでも折れない。折れるくらいならば苦しかったり悲しかったり恥ずかしかったりする方がまだマシだと、いつの時代も私は思うのです。
自分にしかわからない価値観でも信念でもいいからずっと持ち続けていたい。そんな私のロック魂はきっと一生変わらない…。
30代前半…
私はその日、友人に小さめのぬいぐるみのようなキーホルダーをお土産にもらいました。そのぬいぐるみだかキーホルダーだかわからない代物は、水族館に行った時のお土産だそうで、お魚的グッズの好きな私にとってはけっこうツボでした。くすんだオレンジ色の胴体にくっきりとした青緑色の点々模様。不気味といえば不気味でしたが私はその不気味さが好きなんです。ステキなものを貰ってとてもうれしく思いました。
しかし問題は、その用途です。キーホルダーにしては大きすぎますし、ぬいぐるみにしては小さすぎます。なぜ、こんな中途半端な大きさであり、キーホルダー仕様になっているのかが不思議な物体でした。
でも、好みな物体ですから、使い道は後から考えることにして「ありがとう、大事にする。」といって受け取り、その場にとりつけるモノが何もなかったので、持っていた携帯のストラップにとりあえず、つけておきました。
とりあえず、つけておいたんです。とりあえずです。
もちろん家に帰ったら外して別のトコロにつけるか、部屋に飾るかしようと思っていました。
だってけっこうな大きさです。携帯よりも大きいぬいぐるみキーホルダーなんですから、そんなものを携帯につけておいたら不便で仕方ありません。ポケットにも入れておけない携帯になってしまいます。
とりあえずつけたお魚のぬいぐるみキーホルダー。
そして私はぬいぐるみキーホルダーをくれた友人と別れ、その後約束していた彼氏との待ち合わせ場所に向かいました。
彼は、とても真面目な人です。一体私のどこを気に入ってつき合っているのかがわからないくらい、私にとっては真面目でかたくて常識に囚われている人でした。いつも私のやることに驚いたり、呆れたりしていました。
時々…というよりも、いつも私とは合わないんじゃないかとは思っていました。お互いを理解はできない、良き理解者にはなりえない関係の恋人。好きなのに「合わない」と思いつつ、つき合っていたわけです。当時、精神的な暇人であった私はこういう無駄な時間を、もったいないとは思っていなかったのです。
待ち合わせ場所に笑顔で現れた彼に、私も笑顔で声をかけます。普通の恋人同士の素敵な待ち合わせ風景に思えました。愛し合っている者同士が相手を見つけた時の笑顔。会いたくて、会いたいから、会える時の喜びに満ちた笑顔。
そして私たちは明るく楽しく会話を弾ませるのです。
「今日は何食べようか?」と彼が言うと、私は
「イタリアンがいい~♪」と答えます。
そんな和やかな空気の中、彼は私の携帯を見つけ明らかにギョッとしました。それはそうだろう、携帯にこんな大きなぬいぐるみがくっついていては思わずツッコミを入れたくなるというものです。普通です。
私は彼が普通に「なにそれ、なんでそんなぬいぐるみを?」と言うのだろうと思っていましたから、普通に友人から今もらったばかりでとりあえずつけておいたのだと素直に言おうと思っていました。
でも彼は私の携帯を見つつ、呆れたような顔で、
「あのさぁ、そういうのもうやめたら?そういうことして可愛いって年じゃないじゃない。常識的におかしいよね?そんな携帯もって隣歩かれるの俺はヤダな。」
と言ったのです。
…私は何を思ったのかといいますと…というより、思うよりも先に口はこう言いました。
「じゃぁ、隣を歩くのをやめれば? 常識的におかしくない人を見つけたらいいんじゃないの? 誰に何を思われても私は平気だし、コレをやりたくてやってるだけだから。あと、可愛い年じゃないってすっごくムカつくよね、可愛いと思われたくてやってるみたいな言い方やめてくれない?」
空気は一瞬で凍りつき、険悪なムードになり果てました。
しかも私は頭にきて「やりたくてやっている」と言ってしまったのです。やりたくてやっているわけではないのに。
しかし、彼の目には私がわざと彼の気を引きたくてやっているように映ったのでしょう。誰がそんなことをするか大バカ、と突っ込むのもムカつくほど、そんなチンケなことをする女だと思われたことに無性に腹が立ちました。
そもそもそんなことをして気を引きたいほどおまえを好きなわけじゃない。そんな感情が膨れ上がりました。
凍りついた空気の中で、冷ややかなケンカのゴングが鳴り響き、愛を育むべき恋人同士は「プライドに関しての争い」という醜い戦いを決行することになってしまいました。
「おかしいものをおかしいからヤメロと言って何が悪いの?俺の言ってること正しいと思えないほど頭悪くないでしょ?」
彼のインテリ風味な言い方はツボではあるけれど、本当はカンに触る方が多いということがわかり始めた今日この頃な私は、この時点でこの男はもういらないと思いました。
だいたいこれしきのことで「隣を歩きたくない」とはどれだけ肝っ玉の小さい男であるか。一瞬にして無くなってしまった愛しさは憎らしさに変わり、大きな声で
「あ~あ、キンタマのちっせーオトコ。最低。」
と、その場で叫んでやりました。本当は肝っ玉ですが、わざと間違えたフリをしてキンタマにしてあげたのです。こんな時は私自身がなんと思われようが、コイツが死ぬほど恥ずかしい目にでも会えばぜんぜんいいのです。
変なことで目立つことが大嫌いな彼は(まぁそれが普通)、人の目を気にしておろおろし始めます。これしきのことで動揺を隠しきれなくて私に敵うとでも思っているのだろうか。だとしたらかわいそうではあるけれど、かわいそうだと思えば思うほどもっともっと追い詰めたくなってしまいます。悪魔のような黒い魂が舞い降りてきて、ニヤリと笑う私の顔を見た彼のその情けない表情が、私を止まらなくさせるのです。
私は彼の顔をゆっくりと下から覗き込み、今度は小声で可愛らしく
「あっ、ごめぇん、キンタマじゃなくて肝っ玉だった。」
と、言ってやりました。
私の挑戦的な態度に、彼のひきつった表情。
そして私は止まらない。
「ま、どっちだって似たようなもんだよね。総合的にどこもかしこも小さいってことだよね。私は魚一匹にごちゃごちゃ言ってるウンコ野郎はもういらないから速やかに別れようぜ。あ、あとね、私はあんたの言ってることは正しいとは一生思えないくらいのバカだから、あんたの言うところのバカじゃない女でも探したらいいんじゃないの?」
「ちょ、ちょっと待ってよ、そんなにその魚大事?」
彼は私が怒っている理由がわかっていない。魚が大事かと聞く時点でやっぱり解り合えないことがわかります。でももう説明する気もないし、したくもないのです。
「この魚は私の命だ。」
と、適当すぎる適当なことを言ってやりました。
私は、たかが「お魚」で、大まじめな別れ話ができる変わった女でした。
折れられないと思ったら、その原因が何であれ死んでも折れません。後には引けないのです。その後にどんないいわけをされようと、どんなに謝られようと、どんなに冷静になった自分が何もこんなことで別れなくてもいいのでは?と思ったとしても、やっぱり好きでもあるんだから寂しいな…と思ったとしても、前日まで甘い愛をささやき合っていたとしても、失う覚悟ができていないことでポッカリと心に穴があいたとしても……一人密かに泣いたとしても、でも絶対に後には引けない、折れない、決めたら後ろは振り向きません。
どのタイミングでどんな人を失っても、それが悲しくてやりきれなくても、それでも私はそのターニングポイントの選択を貫きます。
あれから10年以上たった今考えれば、その時の彼がかわいそうだとも思えます。
おそらく彼にとって私は、ちょっとおかしくて放っておけない女であり、自分が何とかしてあげなくてはいけないと思う対象だったのでしょう。でも私にとってはそんなのは超余計なお世話なのです。その辺の考え方自体が合っていなくても男女間の恋愛感情なんていうものは育ってしまう場合もある…まぁ、それが若さかなと思います。
それでも頑なに、どんな小さなことでも私の自由を奪うような発言を一切許さず、妥協しなかったからこそ、今の私の自由があるのです。折れられないことはどんなにくだらないことであっても折れない方が、いいのです。
そして、歳をとってちょっとだけ丸くなった今、そんな若かりし頃のアホらしい真剣な会話をふと思い出すような瞬間があります。
私は男性に何を求めるのかというと、絶対的な自由です。好きにさせてもらわないと死んでしまう体質なのです。でもその自由の意味は主に精神です。
自由にもいろいろな意味があります。
あれをするな、これもするな、も、別に愛情ゆえのことならば別に自由を奪われているとは思いません。そんな可愛らしい拘束くらいなら特に気にならないし、そんなもんはしっかり頷いておいて、どうしてもやりたければバレないようにやればいいだけのハナシ。バレて失う可能性のパーセンテージと相談しながらバランスよく好きな事をしていればいいだけです。(失敗もたくさんしたけど)
だから、それはそれでいいんです。
嫌なのは……
今現在、私はダイオウグソクムシのアホみたいに使いづらい携帯ケースを使用しています。ポケットには入りませんし、外さなければ写真もとれません。
そんなケースを使っていると、お魚キーホルダーを思い出す時があります。バカとかアホと言われても別にいいのです。全く持ってその通りなのですから。それを肯定しろだなんて少しも思っていません。
でも、やめろと言われると私はたちまち嫌になります。
特に、自分の為にやめろと言われるのが一番嫌。
「オレが恥ずかしいからやめろ」
だけはやっぱり許せません。
だったら頭のおかしくない女を選びなさい。
私の頭は最初からおかしくて、この先治ることはないし、治す気もないのですから。と、思うのです。
そして、今でも思っているのです。
そのままでいい、好きなようにしとけ…と放し飼いしてくれるような人に見守られて、好きなようにしていられるのが一番幸せなことだと思います。
それにしても、ダイオウグソクムシの携帯ケース、確かに愛があるんだけどいつまで使い続ければいいのかな、最近、トレードマーク的存在になりつつあるグソクムシくん、別な意味で手放せなくなりそうでちょっと怖いわ(爆)

- 関連記事
-
- 後に引けなくなったお話 (2015/08/31)
- ピアス (2015/07/03)
- パンドラハンター (2015/05/16)
スポンサーサイト
コメント
トラックバック
| h o m e |