傘をささない主義だった数年間
こんばんは、いずきちです。
実は私は若かりし頃、
「絶対に傘をささない主義」を貫き通している時期がございました。

なぜそんな無意味なことをするんですか?
と、人は言いますが、答えるのはなんといいますか難しいです。
一言で言うと、
「傘をさしたくないから。」
というふうになりますが、これではあまりにもバカにしています。でもバカにしているわけでもなんでもなくて、本当に「傘」という不安定な物体をさしていることにストレスを感じ「さしたくない」と思ってしまうのですからどうしようもないのです。
基本的に硬くて丈夫なものが好きな私は、柔らかくてすぐ壊れそうな物体が嫌いなんです。傘は柔らかい部分がありますし、骨組なんかはすぐに壊れます。だからその存在自体に不安を感じ、さしているのが嫌になるのです。
これがどうでもいい傘、例えば何かが出てきた時に戦うために、最初から開いて使う気がないものとして選んだ傘ならば、持ち歩くのは苦ではありません。でも、傘に描かれた模様がステキだったり、骨組がオシャレだったり持ち手に大好きな透明アクリルなんかが使われている傘を、雨の日にさして使えと言われたら私は嫌なのです。
だから私はもういっそのこと、そんな不安な気持ちになるのなら傘をさすのをやめて、絶対にささない主義になってしまえばいいのではないかと考えました。そしてそれを実行したのです。
するととても気分がいいのです。「雨が降っても絶対に傘をささない。」と自分の中で決めごとを作ったおかげでどんなに雨が降っていても傘はさしません。もちろんずぶ濡れです。でも傘をさすよりはずぶ濡れの方がぜんぜん気分がいいのです。
雨に体温を奪われ、よく風邪もひきましたが、それでも雨を肌で感じるのは意外と気持ちのいいものです。服も下着も全部濡れますが、そんなものは洗って乾かせばなんの問題もないのですから、人々が濡れるのを嫌がる気持ちの方が私にはよくわからないくらいでした。
雨が降ったらずぶ濡れに濡れて風邪をひく。
なんて自然。なんてナチュラル。なんて純粋に生きている私。自然の摂理の輪の中に入り込んだような自分が好きでした。
そして大粒の雨がコンクリートの水たまりにボツボツと落ちるさまを楽しそうに観察しながら、その大粒の雨を身体で感じ「気分は植物。」などと呟くのです。

母親はどんなに雨が降っていても絶対に傘を持っていかない娘に
「おまえさんは本当はバカなのか?」
と、真顔で聞きました。
娘である私は、
「たぶん、生まれつきバカだよ。」
と、言ってどしゃぶりの雨の中を嬉しそうに歩いて行くのです。でも歩道橋の上から人々が傘をさして歩いているのを見るのは好きで、雨に濡れながら色とりどりの傘の花を見ては、
「キチガイみたいにごちゃごちゃしやがって、ウケケケケ。」
と、一人楽しくなったものです。

しかし、一つだけ困ったことがありました。
それは、こうやって雨の中を傘をささずに楽しく歩いている私に、善意の優しい心で声を掛けてくださる人々の存在でした。
「傘がないの?貸してあげようか?」
「この傘、使っていいよ、あげる。」
「一緒に入っていく?」
「濡れちゃうよ、ここで雨宿りしていきなよ。」
ずぶ濡れ野郎をかわいそうだと思った人々は私にそうやって声を掛けるのです。私はそんな時、それがもう負担で負担で仕方ありませんでした。
私が好きでこんなことをしているのに、人は可哀そうだと思うのです。でも私はちっとも可哀そうではないのです。しかし心優しい私は、今度はその人たちに不快な思いをさせまいと最大限に気を使い、
「ありがとう、大丈夫、家はすぐそこなので。」
と、もうダッシュで走りさります。善意で声を掛けてくれる人をむやみに傷つけてはいけません。そして、声をかけたことが迷惑な行為だったと悟られても気分を害してしまうのではないかと考えます。そこにいたのが私でなければ、感謝され、温かい笑顔が生まれ、よい人間関係が築けたはずなのです。私がおかしな対応をしてしまったら、その人は声を掛けるという行為に恐れを抱くようになるかもしれないのです。こんなバカ野郎のせいでそんな悲しい思いをさせたらダメなのです。
そんなふうに思ってしまうので、いつも困ってしまっていました。それでも困ったことにも負けずに傘をささずに数年間過ごし、ずぶ濡れを何度も堪能しようやく覚悟を決めて傘をさすようになりました。
理由は…大人になったから。てか、お仕事中にずぶ濡れ許されないから。というシンプル且つ悲しい理由でございます。社会人としてお仕事をしてお金をもらうのですから、我慢して傘をささなくてはいけません。例えば会社に入社したとしたら、契約書には書かれていないけれど雨の日は濡れずに出社し、速やかに仕事をしなければいけない。というのも入社の条件であると思ったのです。(あたりまえw)
つまらない大人にならなくては、生きていけませんから私は傘をさしました。数年ぶりにさす傘には高級な傘を選び、そしてものすごく久しぶりにポツポツと傘に雨が当たる音を聞きました。それは大人になるための音だと思いました。
今でも傘をさす時には、ある衝動が生まれます。
この傘をポーイと投げて、水たまりの中を真っすぐに歩き、上を向いて雨雲を眺めたら、天然の目薬に眼をやられるから、そうしたら楽しそうに「ワハハハハハ」と笑い、重たくなっていく服を感じながら、このままおしっこしてもバレないや、とか思いたいなぁ…って。
そんな人がいる。まぁそんな人もいる。
てか、いつでも「そんな人ダイジョブ?」ないずきちでございますが、今日もそんなカンジでよろしくぅ!
私はあってもささないバカw
実は私は若かりし頃、
「絶対に傘をささない主義」を貫き通している時期がございました。

なぜそんな無意味なことをするんですか?
と、人は言いますが、答えるのはなんといいますか難しいです。
一言で言うと、
「傘をさしたくないから。」
というふうになりますが、これではあまりにもバカにしています。でもバカにしているわけでもなんでもなくて、本当に「傘」という不安定な物体をさしていることにストレスを感じ「さしたくない」と思ってしまうのですからどうしようもないのです。
基本的に硬くて丈夫なものが好きな私は、柔らかくてすぐ壊れそうな物体が嫌いなんです。傘は柔らかい部分がありますし、骨組なんかはすぐに壊れます。だからその存在自体に不安を感じ、さしているのが嫌になるのです。
これがどうでもいい傘、例えば何かが出てきた時に戦うために、最初から開いて使う気がないものとして選んだ傘ならば、持ち歩くのは苦ではありません。でも、傘に描かれた模様がステキだったり、骨組がオシャレだったり持ち手に大好きな透明アクリルなんかが使われている傘を、雨の日にさして使えと言われたら私は嫌なのです。
だから私はもういっそのこと、そんな不安な気持ちになるのなら傘をさすのをやめて、絶対にささない主義になってしまえばいいのではないかと考えました。そしてそれを実行したのです。
するととても気分がいいのです。「雨が降っても絶対に傘をささない。」と自分の中で決めごとを作ったおかげでどんなに雨が降っていても傘はさしません。もちろんずぶ濡れです。でも傘をさすよりはずぶ濡れの方がぜんぜん気分がいいのです。
雨に体温を奪われ、よく風邪もひきましたが、それでも雨を肌で感じるのは意外と気持ちのいいものです。服も下着も全部濡れますが、そんなものは洗って乾かせばなんの問題もないのですから、人々が濡れるのを嫌がる気持ちの方が私にはよくわからないくらいでした。
雨が降ったらずぶ濡れに濡れて風邪をひく。
なんて自然。なんてナチュラル。なんて純粋に生きている私。自然の摂理の輪の中に入り込んだような自分が好きでした。
そして大粒の雨がコンクリートの水たまりにボツボツと落ちるさまを楽しそうに観察しながら、その大粒の雨を身体で感じ「気分は植物。」などと呟くのです。

母親はどんなに雨が降っていても絶対に傘を持っていかない娘に
「おまえさんは本当はバカなのか?」
と、真顔で聞きました。
娘である私は、
「たぶん、生まれつきバカだよ。」
と、言ってどしゃぶりの雨の中を嬉しそうに歩いて行くのです。でも歩道橋の上から人々が傘をさして歩いているのを見るのは好きで、雨に濡れながら色とりどりの傘の花を見ては、
「キチガイみたいにごちゃごちゃしやがって、ウケケケケ。」
と、一人楽しくなったものです。

しかし、一つだけ困ったことがありました。
それは、こうやって雨の中を傘をささずに楽しく歩いている私に、善意の優しい心で声を掛けてくださる人々の存在でした。
「傘がないの?貸してあげようか?」
「この傘、使っていいよ、あげる。」
「一緒に入っていく?」
「濡れちゃうよ、ここで雨宿りしていきなよ。」
ずぶ濡れ野郎をかわいそうだと思った人々は私にそうやって声を掛けるのです。私はそんな時、それがもう負担で負担で仕方ありませんでした。
私が好きでこんなことをしているのに、人は可哀そうだと思うのです。でも私はちっとも可哀そうではないのです。しかし心優しい私は、今度はその人たちに不快な思いをさせまいと最大限に気を使い、
「ありがとう、大丈夫、家はすぐそこなので。」
と、もうダッシュで走りさります。善意で声を掛けてくれる人をむやみに傷つけてはいけません。そして、声をかけたことが迷惑な行為だったと悟られても気分を害してしまうのではないかと考えます。そこにいたのが私でなければ、感謝され、温かい笑顔が生まれ、よい人間関係が築けたはずなのです。私がおかしな対応をしてしまったら、その人は声を掛けるという行為に恐れを抱くようになるかもしれないのです。こんなバカ野郎のせいでそんな悲しい思いをさせたらダメなのです。
そんなふうに思ってしまうので、いつも困ってしまっていました。それでも困ったことにも負けずに傘をささずに数年間過ごし、ずぶ濡れを何度も堪能しようやく覚悟を決めて傘をさすようになりました。
理由は…大人になったから。てか、お仕事中にずぶ濡れ許されないから。というシンプル且つ悲しい理由でございます。社会人としてお仕事をしてお金をもらうのですから、我慢して傘をささなくてはいけません。例えば会社に入社したとしたら、契約書には書かれていないけれど雨の日は濡れずに出社し、速やかに仕事をしなければいけない。というのも入社の条件であると思ったのです。(あたりまえw)
つまらない大人にならなくては、生きていけませんから私は傘をさしました。数年ぶりにさす傘には高級な傘を選び、そしてものすごく久しぶりにポツポツと傘に雨が当たる音を聞きました。それは大人になるための音だと思いました。
今でも傘をさす時には、ある衝動が生まれます。
この傘をポーイと投げて、水たまりの中を真っすぐに歩き、上を向いて雨雲を眺めたら、天然の目薬に眼をやられるから、そうしたら楽しそうに「ワハハハハハ」と笑い、重たくなっていく服を感じながら、このままおしっこしてもバレないや、とか思いたいなぁ…って。
そんな人がいる。まぁそんな人もいる。
てか、いつでも「そんな人ダイジョブ?」ないずきちでございますが、今日もそんなカンジでよろしくぅ!
私はあってもささないバカw
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コメント
傘をささない主義。
凄まじい反体制です。
とかく思春期の若者たちというのは世の管理社会に反発し、奇抜な言動やサインによって反体制を唱えたがるものです。が、しかしそのほとんどがファッションと化し、それは只単に青春のブームと成り下がってしまっています。
そんな中、「雨が降っても絶対に傘をささない」という主義。
その理由を問われると「傘をさしたくないから」。
ブームじゃない。反抗じゃない。理屈じゃない。ただ自然を感じたいだけ。
そんないずきちさんのナチュラル・アナーキーな生き方が好きです。
【2011/07/27 11:02】
URL | 愚人 #- [ 編集 ]
URL | 愚人 #- [ 編集 ]
>愚人さん
でも、そんな変なことばかりをやっているとですね、それなりに苦労はするんですよ…。まず、彼氏。親よりうるさいのはなぜなんだ。だったら作るな彼氏!でもなぜか作ってしまうバカ野郎で(涙
何も聞かずに一緒にずぶ濡れになってくれる人は大概変な人。それは仕方ありません、私が変なんですから。
ちなみにうちのダンナ様、自分に合った枕を探し求め追及していった過程で、大きな石を持ち込んで枕にして寝てみたことがあるそうです。「頭が痛かった」と言っておりました。
結婚前にその話を聞いた時、「コイツだ…」と思って一緒に暮らしていた婚約者との別れを決意しました。嵐のようにもめた日は大雨。傘をささずに出て行く私はその雨を容易に受け入れ進むのです。
動かされた心の原因は、婚約者に語ったら怒られると思って言いません。そんなもんです、人生は。っと、今、傘を忘れたので持ってきてくれとダンナ様からメール。そして傘を持って午後の授業に行って参ります。
ナチュラル・アナーキー、ステキな言葉です。
でも、そんな変なことばかりをやっているとですね、それなりに苦労はするんですよ…。まず、彼氏。親よりうるさいのはなぜなんだ。だったら作るな彼氏!でもなぜか作ってしまうバカ野郎で(涙
何も聞かずに一緒にずぶ濡れになってくれる人は大概変な人。それは仕方ありません、私が変なんですから。
ちなみにうちのダンナ様、自分に合った枕を探し求め追及していった過程で、大きな石を持ち込んで枕にして寝てみたことがあるそうです。「頭が痛かった」と言っておりました。
結婚前にその話を聞いた時、「コイツだ…」と思って一緒に暮らしていた婚約者との別れを決意しました。嵐のようにもめた日は大雨。傘をささずに出て行く私はその雨を容易に受け入れ進むのです。
動かされた心の原因は、婚約者に語ったら怒られると思って言いません。そんなもんです、人生は。っと、今、傘を忘れたので持ってきてくれとダンナ様からメール。そして傘を持って午後の授業に行って参ります。
ナチュラル・アナーキー、ステキな言葉です。
私は傘をささないです
一応雨傘はもっています(念のため言及)。
こちらでは傘をさす人は極端に少ないです。どんな土砂降りでも平気で外を歩いています。多分1割以下の傘率だとおもいます(笑)。窓の外をみても普通に歩いているので雨降っているのか降っていないのか分からないです(笑)。
水たまりもよけずに平気でまっすぐ歩いて行きますが、、
そうか、、それってもしかして変なのか、、とふと思いました(滝汗)。
日本では雨でも晴れでも傘をさしていて、たまにテレビのニュースでみると驚きます(笑)。
やっぱり湿度が高いので濡れると乾燥しづらいからでしょうか?
>母兵衛さん
世界は広いですね~。日本っていう世界の独特さは世界を知らないときっとわからないんですよね。もっといろんな国へ行ってたくさんのことを勉強したら価値観も変わるんだろうと思います。
日本は個性個性と言うわりには、型にハマっていることが暗黙のルールのようなところがあるように思います。でもその干渉される分、厳しくないというか…。
雨の日に傘をささない人が多い国、考えただけでステキだと思います~。文化って不思議です。
湿度なんかもやっぱりそういう文化に関係していそうですね。雨が降ったら濡れたり乾いたりが普通…なんかそういうの、すごくいいなぁと思います。
世界は広いですね~。日本っていう世界の独特さは世界を知らないときっとわからないんですよね。もっといろんな国へ行ってたくさんのことを勉強したら価値観も変わるんだろうと思います。
日本は個性個性と言うわりには、型にハマっていることが暗黙のルールのようなところがあるように思います。でもその干渉される分、厳しくないというか…。
雨の日に傘をささない人が多い国、考えただけでステキだと思います~。文化って不思議です。
湿度なんかもやっぱりそういう文化に関係していそうですね。雨が降ったら濡れたり乾いたりが普通…なんかそういうの、すごくいいなぁと思います。
子供のころから「水の滴るいい女」ってやつですね??
最近じゃツル子さんは化粧が崩れるので傘は折り畳みから普通の傘まで必需品になってますが、ただせっかく傘を持ったのに雨がすぐ止んだとかっていうときは、気分は逆に落ち込みますね。
せっかく重い頑丈な傘を持ったのに・・・・。
邪魔に感じるのは最近特に多いですねぇ。
ツル子さんも思いきって天然ミストを浴びてみようかしら??
【2011/08/04 09:41】
URL | ツル子さん #- [ 編集 ]
URL | ツル子さん #- [ 編集 ]
>ツル子さん
よほど目的がなく、ヒマを持て余していないと傘をささない主義にはなれませんw
でも雨に濡れるのは気持ちいいです。だんだんと濡れて行くからなんだか楽しいのです。
ツル子さんはステキな傘を買っていましたよね。それは雨がやんでしまったらちょっと悲しいですね。
雨がやんでしまった後に持ち歩く傘っていうのがまた、邪魔なんですよね~w
よほど目的がなく、ヒマを持て余していないと傘をささない主義にはなれませんw
でも雨に濡れるのは気持ちいいです。だんだんと濡れて行くからなんだか楽しいのです。
ツル子さんはステキな傘を買っていましたよね。それは雨がやんでしまったらちょっと悲しいですね。
雨がやんでしまった後に持ち歩く傘っていうのがまた、邪魔なんですよね~w
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