ピアス
実は今年になってピアスの穴をあけました。
「え?あけてないの?意外~。」
と、何度言われた事でしょうか。
でも私は特に、耳に穴をあけてそんな小さな粒々をつけようと思ったことが一度もないのです。それに大きくて重たいイヤリングのあの挟まれ感がけっこう気に入っていたので、周りの友人がピアス、ピアスと騒いでいた学生時代でも、
「私は興味ない。」
の、一言でスルーしていたのでした。
それから、
運気がかわるとか?
親からもらった身体うんぬんとか?
痛そうで怖いとか?
はっきりいってどんな感情ももっていません。
ただ、興味がなかった。
本当にそれだけでした。
耳に穴をあけるという行為は、私にとっては、耳に穴をあけて小さな飾りをつける以外の感情は持てなかったというワケです。
だから、あけなかった。
だって、別にあけたいと思わないんですから。
でも、昔からなぜか耳に穴のあいていない私なのに、ピアスのプレゼントをよくもらいます。
その度に、実は穴をあけていないので、金具をとりかえて使わせていただくね、と、若干相手にも気を使わせてしまう状況を生みだしておりました。
なぜ私がピアスをあけていない可能性を一つも考えないのだろう…という不思議現象には、それなりに困っていたのですが、あいてないもんは仕方がねぇだろ、と、開き直って頑張っていたのです。
しかし、面倒。
とにかく面倒なんですよ、忙しいのに、
「ありがとう」の一言で済ませられないのは、無駄な時間の生産に繋がってしまいます。
ある時ふと思いました。
ここで、「ありがとう!」と気持ちよく受け取ることができたなら、なんと楽であろうか。
…あ、そうか。それで済ますためには、穴をあけりゃいいんだ…
と。
それで今年の2月に両耳に一つづつピアスの穴をあけました。
耳に穴をあける理由なんていうのはそんなもんです。
私は残念ながら本当に根が乙女ではありません。
面倒なことから逃れたいというだけで、穴をあける女なのです。
でも穴をあけてみると、ピアスもそれなりに楽しめます。
耳たぶに穴があいているという事実はなかなか面白いのです。
生きている肉に対しての「貫通」。
肉に穴をあけるという行為の楽しさを知りました。
そんな楽しさを味わっていると今度は誕生日プレゼントにピアッサーをいただきました。二つ。
ピアッサーをいただいたということはそれを使えということです。耳に穴をあけてくれという、プレゼントです。これはなかなか大胆なプレゼントではないでしょうか。私はとても面白いと思いました。
穴のプレゼント(笑)
私は、せっかくいただいたのですからと、その場で左耳に二つ穴をあけました。(ちなみに私は耳たぶが厚くないのであけるときの痛みはまったくありません。チクリともしないという、耳の神経大丈夫か?な状態)
というわけで、今私の耳には、左に3つ、右に1つ、ピアスの穴があいているワケです。

基本的に、自分の意志を優先して何事も行う私ですが、実はピアスの穴には一つも私の意志はない…。という、ちょっとマヌケなハナシです。穴は他人の意志にまかせよう、そんな主義もいいかもしれないな…と思ったので、この先私は自分の意志でピアスの穴を増やすということをせず、「あけてくれ」と言われた時にだけあけようと思っています。
まるで「歌ってくれ」と言われるのと同じように(笑)
しかし、世の女性は、ピアスにいろんな想いがあるようで、私は本当はそういった心情を何にも理解できないくせに、
「ピアスを開けて今の私を変えてみせるわ。」
という女性に対して、
「そうよね!」
などと、適当な返事をする、所詮、悪者でございます。
耳に穴をあけて変わるなら、私だってもっとマトモな人間になりたいわ、という心の中のツッコミは胸にしまって。
明日で43歳。
昨日も友人に誕生日パーティーを開いてもらい、明日の当日もお世話になっている人達に誕生日を祝ってもらう予定です。
この年になっても、誕生日を祝ってくれる人達がいることに感謝です。嬉しいな。
嗚呼 Summer。
肉体が劣化しても尚、人の心は育つ。
どんなふうに育てるかは、自分の意志のようでいて実はそうではない。
ピアスの穴と一緒。
あいた穴は元にはもどらないのに、私は無感情でいつくも穴をあけるが如く、
躊躇いもしないで Dive。
蛇にピアスを思い出した。
「え?あけてないの?意外~。」
と、何度言われた事でしょうか。
でも私は特に、耳に穴をあけてそんな小さな粒々をつけようと思ったことが一度もないのです。それに大きくて重たいイヤリングのあの挟まれ感がけっこう気に入っていたので、周りの友人がピアス、ピアスと騒いでいた学生時代でも、
「私は興味ない。」
の、一言でスルーしていたのでした。
それから、
運気がかわるとか?
親からもらった身体うんぬんとか?
痛そうで怖いとか?
はっきりいってどんな感情ももっていません。
ただ、興味がなかった。
本当にそれだけでした。
耳に穴をあけるという行為は、私にとっては、耳に穴をあけて小さな飾りをつける以外の感情は持てなかったというワケです。
だから、あけなかった。
だって、別にあけたいと思わないんですから。
でも、昔からなぜか耳に穴のあいていない私なのに、ピアスのプレゼントをよくもらいます。
その度に、実は穴をあけていないので、金具をとりかえて使わせていただくね、と、若干相手にも気を使わせてしまう状況を生みだしておりました。
なぜ私がピアスをあけていない可能性を一つも考えないのだろう…という不思議現象には、それなりに困っていたのですが、あいてないもんは仕方がねぇだろ、と、開き直って頑張っていたのです。
しかし、面倒。
とにかく面倒なんですよ、忙しいのに、
「ありがとう」の一言で済ませられないのは、無駄な時間の生産に繋がってしまいます。
ある時ふと思いました。
ここで、「ありがとう!」と気持ちよく受け取ることができたなら、なんと楽であろうか。
…あ、そうか。それで済ますためには、穴をあけりゃいいんだ…
と。
それで今年の2月に両耳に一つづつピアスの穴をあけました。
耳に穴をあける理由なんていうのはそんなもんです。
私は残念ながら本当に根が乙女ではありません。
面倒なことから逃れたいというだけで、穴をあける女なのです。
でも穴をあけてみると、ピアスもそれなりに楽しめます。
耳たぶに穴があいているという事実はなかなか面白いのです。
生きている肉に対しての「貫通」。
肉に穴をあけるという行為の楽しさを知りました。
そんな楽しさを味わっていると今度は誕生日プレゼントにピアッサーをいただきました。二つ。
ピアッサーをいただいたということはそれを使えということです。耳に穴をあけてくれという、プレゼントです。これはなかなか大胆なプレゼントではないでしょうか。私はとても面白いと思いました。
穴のプレゼント(笑)
私は、せっかくいただいたのですからと、その場で左耳に二つ穴をあけました。(ちなみに私は耳たぶが厚くないのであけるときの痛みはまったくありません。チクリともしないという、耳の神経大丈夫か?な状態)
というわけで、今私の耳には、左に3つ、右に1つ、ピアスの穴があいているワケです。

基本的に、自分の意志を優先して何事も行う私ですが、実はピアスの穴には一つも私の意志はない…。という、ちょっとマヌケなハナシです。穴は他人の意志にまかせよう、そんな主義もいいかもしれないな…と思ったので、この先私は自分の意志でピアスの穴を増やすということをせず、「あけてくれ」と言われた時にだけあけようと思っています。
まるで「歌ってくれ」と言われるのと同じように(笑)
しかし、世の女性は、ピアスにいろんな想いがあるようで、私は本当はそういった心情を何にも理解できないくせに、
「ピアスを開けて今の私を変えてみせるわ。」
という女性に対して、
「そうよね!」
などと、適当な返事をする、所詮、悪者でございます。
耳に穴をあけて変わるなら、私だってもっとマトモな人間になりたいわ、という心の中のツッコミは胸にしまって。
明日で43歳。
昨日も友人に誕生日パーティーを開いてもらい、明日の当日もお世話になっている人達に誕生日を祝ってもらう予定です。
この年になっても、誕生日を祝ってくれる人達がいることに感謝です。嬉しいな。
嗚呼 Summer。
肉体が劣化しても尚、人の心は育つ。
どんなふうに育てるかは、自分の意志のようでいて実はそうではない。
ピアスの穴と一緒。
あいた穴は元にはもどらないのに、私は無感情でいつくも穴をあけるが如く、
躊躇いもしないで Dive。
蛇にピアスを思い出した。



カテゴリ合ってますか…。
主婦日記とかには混ぜてもらえない気がするんですよ。
カテゴリ分けって難しい。音楽関連のトコに行ってもいいかなぁ。
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インクルージョンイズム

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