欲求に素直だからこうなる
基本的に…
私という人間には、仕事か活字か筆か音楽か酒を与えておけば事足りるのですが、でも逆にこれらがないと生きて行けません。極端な性質は一生治らないことはもう充分わかっているのですが、そこら辺の事に関する私の行動は未だにオトナとは思えない行動が多いので、結果、ツライ…。
今は何が辛いのかといいますと、

眠い。
活字を追う欲求に素直になってしまったがために、睡眠時間を大幅に削ってしまいました。(素直に寝てないと言えってハナシ)
そういうことを平気でやる人間はバカです。ツライ目をみるとわかっていても欲求を抑えることをしないのですから。
でも私は、その与えられた辛さを乗り越えます(当たり前)。
ツライなー、ツライなー、とは言っていても同じ事が繰り返せるくらいに学習はしませんから、ツライ事はツライ事として受け止め、そしてそれ自体が実は余裕なんですよ、総合的に。
先生に怒られるからそんなことできない…と、普通の意見を言う友人に私はよくこう言いました。
「やりたいことやらないでする後悔は全く面白くないけど、やって怒られてする後悔はそれよりは面白い。」
と。
失うものも得るものもある、いわば勝負。ある意味賭け事。
そういう気質はおそらく女性には珍しいのかもしれませんが、私はそれが治らない、というより、もうそういう生物なんでしょう。
安定を求めない性質。
でも安定なんて求めて生きたら、芸術の傍にはいられません。
それだけはわかるのです。
安定は尊いものであることの意味もわかります。
しかし、安定はいろんなものを劣化させる原因ではないかと思うのです。
安定は心の波を生み出しません。でも波が生まれなければ、何かを生み出すこともできません。だから生み出したい人は、敢えて不安定を求めるのです。
芸術家の頭がおかしいのも小説家の頭がおかしいのも、そういう部分ではないのだろうかと思います。でもきっと私もそんな気質をもっています。大したものは生み出せなくても作ることをやめられません。おそらく生きることとそれは同じ意味を持つことなのです。
一応は求める安定。しかし安定を求めながらも安定にしがみつけない、求めて手に入れた安定を、薄ら笑いを浮かべなからさらりと手放すのです。
そして、落ちていく速度の快感を全身で受け止める中で、生み出したいものが生まれ、その後の地獄を想いながら表現するのです。
故郷の匂いのする奈落の底にたどり着くまで。
底は故郷。たどり着いて、またここに帰ってきたと少しだけ安心感を覚えたら、また何かを求めて彷徨い、苦悩し、光を見つけて進む…でも実はその時が一番素晴らしい波を実感できるのかもしれません。
それを繰り返して生きることしか出来ない人間を、ろくでもない人間というのかもしれませんが、それに分類されるような人間は別に誰にも理解はされなくていいと思っているはずです。多分。逆にこの面白い辛さは自分だけのものだと、ニヤついているのかもしれません。
そんなことを考えながら、いろいろなことを判断して進むことにためらいがないからこそ、実行できる。それが実行力。間違っていてもいなくても、自分の思い通りに進むことができるならそれでいいのです。
…だから私は、今すぐに読みたいと思った本を歳がいもなく徹夜して読んでも仕方がないのです!判断を下し、実行しただけのハナシ!(←大バカ)
と、まぁ、これだけ偉そうなことを言っておいて実行するのがコレです。滑稽。滑稽なんですよ、絶対にカッコよくはありません。でもカッコよさなんていうものも所詮作りものですから、物事の真髄を見極めた上で何かを愛でたければ、カッコの良いものだけは私はきっと選ばないだろう…。そんな味気のないものに興味はない。
眠い…
そんな頭が沸いている私に、「早く寝なさい」と言う人がいたとして…
でも「寝ろ!」と言われても言う事なんて聞くわけがないのが所詮、私。なのですよ、ははははは。
私という人間には、仕事か活字か筆か音楽か酒を与えておけば事足りるのですが、でも逆にこれらがないと生きて行けません。極端な性質は一生治らないことはもう充分わかっているのですが、そこら辺の事に関する私の行動は未だにオトナとは思えない行動が多いので、結果、ツライ…。
今は何が辛いのかといいますと、

眠い。
活字を追う欲求に素直になってしまったがために、睡眠時間を大幅に削ってしまいました。(素直に寝てないと言えってハナシ)
そういうことを平気でやる人間はバカです。ツライ目をみるとわかっていても欲求を抑えることをしないのですから。
でも私は、その与えられた辛さを乗り越えます(当たり前)。
ツライなー、ツライなー、とは言っていても同じ事が繰り返せるくらいに学習はしませんから、ツライ事はツライ事として受け止め、そしてそれ自体が実は余裕なんですよ、総合的に。
先生に怒られるからそんなことできない…と、普通の意見を言う友人に私はよくこう言いました。
「やりたいことやらないでする後悔は全く面白くないけど、やって怒られてする後悔はそれよりは面白い。」
と。
失うものも得るものもある、いわば勝負。ある意味賭け事。
そういう気質はおそらく女性には珍しいのかもしれませんが、私はそれが治らない、というより、もうそういう生物なんでしょう。
安定を求めない性質。
でも安定なんて求めて生きたら、芸術の傍にはいられません。
それだけはわかるのです。
安定は尊いものであることの意味もわかります。
しかし、安定はいろんなものを劣化させる原因ではないかと思うのです。
安定は心の波を生み出しません。でも波が生まれなければ、何かを生み出すこともできません。だから生み出したい人は、敢えて不安定を求めるのです。
芸術家の頭がおかしいのも小説家の頭がおかしいのも、そういう部分ではないのだろうかと思います。でもきっと私もそんな気質をもっています。大したものは生み出せなくても作ることをやめられません。おそらく生きることとそれは同じ意味を持つことなのです。
一応は求める安定。しかし安定を求めながらも安定にしがみつけない、求めて手に入れた安定を、薄ら笑いを浮かべなからさらりと手放すのです。
そして、落ちていく速度の快感を全身で受け止める中で、生み出したいものが生まれ、その後の地獄を想いながら表現するのです。
故郷の匂いのする奈落の底にたどり着くまで。
底は故郷。たどり着いて、またここに帰ってきたと少しだけ安心感を覚えたら、また何かを求めて彷徨い、苦悩し、光を見つけて進む…でも実はその時が一番素晴らしい波を実感できるのかもしれません。
それを繰り返して生きることしか出来ない人間を、ろくでもない人間というのかもしれませんが、それに分類されるような人間は別に誰にも理解はされなくていいと思っているはずです。多分。逆にこの面白い辛さは自分だけのものだと、ニヤついているのかもしれません。
そんなことを考えながら、いろいろなことを判断して進むことにためらいがないからこそ、実行できる。それが実行力。間違っていてもいなくても、自分の思い通りに進むことができるならそれでいいのです。
…だから私は、今すぐに読みたいと思った本を歳がいもなく徹夜して読んでも仕方がないのです!判断を下し、実行しただけのハナシ!(←大バカ)
と、まぁ、これだけ偉そうなことを言っておいて実行するのがコレです。滑稽。滑稽なんですよ、絶対にカッコよくはありません。でもカッコよさなんていうものも所詮作りものですから、物事の真髄を見極めた上で何かを愛でたければ、カッコの良いものだけは私はきっと選ばないだろう…。そんな味気のないものに興味はない。
眠い…
そんな頭が沸いている私に、「早く寝なさい」と言う人がいたとして…
でも「寝ろ!」と言われても言う事なんて聞くわけがないのが所詮、私。なのですよ、ははははは。
2分悩んだ悩み事
とあるカフェにて…
トイレに行きたくなってトイレに入ると、そこはなんともオシャレな空間で、癒されながら用を足しました。
ふぅ…
個室、独りきりの癒され空間。
いいね、こういうのはとてもいい。
キレイでおしゃれなトイレで爽やか気分。
しかし、私は次の瞬間、とんでもないものに出会ってしまうのです。
私は女性ですから、用を足し終われば水滴滴る部分をトイレットペーパーで拭きます。ですからその行動をとろうと、トイレットペーパー設置場所に手をのばした時でした。
そのトイレットペーパー設置場所にはトイレットペーパーが二つ設置してあります。一つがなくなってももう一つがあるから大丈夫的なダブルのトイレットペーパー。よくみる光景です。
私はいままではダブルトイレットペーパーに出会っても迷うことなく感覚で使いたい方を使っていました。考えて使ったことはありません。なんとなくこっち…というふうに選んでいたのです。
でも、今回ばかりは真剣に考えさせられました。
そのトイレットペーパーには柄があり、一つはガチャピン、もう一つはムックだったのです…

実は私はムックという生物が大嫌いなのです。
ムックの顔を見るとイラっとし、ムックの声を聞くとムカっとしてしまう病気なのです。ホントです。
どれくらいムックが嫌いなのかと申しますと、ムックが嫌いなことについて原稿用紙2、3十枚は軽く一瞬でいけるくらい嫌いです。
とにかくムックだけはダメなんです。イラつきやムカつきを通り越すと泣きます。そして泣きながら許しを請うかもしれません。
そんなムックがガチャピンとセットで、そこにいたのです。
しかも、どちらかを選んで、拭かなくてはいけないのです。
私はどうしていいのか分からなくなりました。
最初はムックが嫌いなのだから、素直にガチャピンで拭こうと思いました。でも私はガチャピンに恨みはありません。ムックが嫌いだからってムックよりも好感度が高いガチャピンでおしっこを拭くのは間違っていないだろうか…とも思えます。
例えば、A子ちゃんとB子ちゃんという仲良し二人組に多大な迷惑をかけられたのでリンチをしたとしましょう。主犯はB子ちゃんであり、頭の悪いA子ちゃんは深く考えず従っただけでした。態度もふてぶてしいB子ちゃんとは違い、A子ちゃんは「ごめんなさい、ごめんなさい」と小動物のようにガタガタと震えています。そんな時、リンチの仕上げとして小便を掛けたくなるのはきっとB子ちゃんです。強気な態度を崩さないB子ちゃんの顔が歪む瞬間の方が楽しいに決まっているのです。あ、間違えた、そうではなくて、B子ちゃんの方が憎らしいから、B子ちゃんだと思うのです。
それをこのガチャピンとムックで考えたら、より嫌いなムックを汚物で汚してやった方が絶対正解なのです。
ではムックを選ぶか…?
しかしムックペーパーへ手を伸ばそうとしても、すんなりと手が動きません。
何故か…?
私は女性ですから、自身の股付近に嫌いなものを近寄らせたくない…という本能が働いてしまうのです。正確に言えば、ムックなんぞに股をのぞかれたくないぞ、バカヤローという気分になってしまうのです。
大変です、これは葛藤です。
立派な葛藤が成立してしまいました。
股を拭く行為自体はガチャピンにまかせたい。
しかし小便を掛けてやりたいのはムック。
そんな事を思った時、嗚呼、なぜ私は今、ウンコがでないのだろう…と思ってしまいました。
もしもウンコであったなら、多少の乙女心はさっぱり捨て、ムックにウンコをなすりつけてあげられたのに。おしっこではそこまでの勇気が出ないのです、どうしても…。
私はめずらしく悩みました。約2分。
真剣に悩みました。約2分。
そして私はガチャピンを選びました。
下した決断にくよくよと悩むのは嫌いです。
でも、なぜかやりきれない気持ちになりました。
悔しい…そんなふうに思ってしまう自分がいました。
もしかしてこれは自分に負けたと言えるのではないでしょうか。
私はまだまだ甘いのです、ガチャピンを選んでしまう弱い心を捨て切れていない、中途半端な野郎なのです。
しかし、この悔しい思いは忘れません。
この思いを糧にして、更なるステップアップを目指します。
まずは、リベンジ(全然意味違うけど)です。
ウンコがしたくなったら、あの店に行ってムックで拭いてやらねばなりません。私の店はそのカフェから車で5分。催したらすぐに向かえば何の問題もありません。大人の女ですから、5分くらいの便意など手ひねり赤子。
ふふふ…待っていろムック
私は貴様を許したワケではないのだぞ。
日々は戦いであり、挑戦だからこそ楽しいのです。
他人にとってどんなにくだらない戦いであっても私にとってくだらなくなければそれは立派な挑戦なのです。
こんなふうに私は思うんだよ…と、デート中に熱く語ったらまず嫌われますが、私の本性がコレな限り私は心底モテないということになります。人間的にモテません。
だからナンダ。
ムック嫌い。もうそれだけです。<(_ _)>
レバ刺しからのシマウマ
友人が言いました。
「あ~レバ刺し食いてぇなぁ~。」
私はレバ刺しは食べられません。
何時だったか、ニュースになったレバ刺しの食中毒事件。平成24年7月から、食品衛生法に基づいて牛のレバーを生食用として販売・提供することを禁止したそうです。レバ刺しが食べられなくなったとニュースで騒いでいた時もとても不思議でした。
「世の中の人はみんなレバ刺しをこんなにも好んで食べていたのか…。」
と。
未知の世界。レバ刺しを食べたことのない私には全くもって未知であります。
なんでレバ刺しが食べられないのか…それは簡単な理由で「気持ち悪いから」でございます。基本ナマモノのダメは私は、動物系を生で食べようという考えがないのです。これってもしかして草食系ではないだろうか。もしも私が恐竜だったなら、生肉は食えませんからたぶん草食恐竜です。できれば大型のブラキオザウルスとかがいいです。でもアンキロサウルスのしっぽも捨てがたい。あんな楽しそうなしっぽがあったら24時間振り回していたいです、自動で。
人間は普通、ナマモノを食べられる生物であり、食べられない人の方がはるかに少ないはずです。うちの家族も私以外は好んでナマモノを食べておりますし、息子に至ってはお刺身なんかは大好物。なんで私にはそれが出来ないのだろうか…不思議です。やっぱり草食系だからだとしか考えられません。もしかしたら祖先はシマウマだったり、ぬーだったり、バンビだったりするのかもしれないのです。
正直、ぬーは勘弁してもらいたい、とか思ってしまうのは罪ですか…
じゃぁ、せめてシマウマ。馬になるんだったらただの馬よりも縞がある馬でありたい。きっとこんな向上心からシマウマは生まれたのだと思います。私もただの馬からどうにかして無理にでもシマウマになってやります。だけど群れでの生活がイヤになり、一人さまよう孤独なシマウマになります。私は何時の時代も群れられなくて苦労してきた人間なので草食系でありながらも群れをなせないという苦労を背負って生きていかねばならない運命なのです。しかしシマウマは団体で生活するからあの縞が役に立っているのに、群れられないわけですから大変です。一体どうやって身を守ればいいのやら…。
そこできっと考えるのでしょう。肉食動物におそわれて食われるのは嫌だ。肉は食えないけれどとりあえず噛みついてやろう…と。馬系かみつき攻撃は威力がなさそうですがきっと怖い。奥行きがある分、恐怖心を引き出せるはずです。肉食動物の頭を飲み込むように噛みついてやれば相手は噛みつけませんからものすごく怖い思いをすると思うのです。
はははは、どうだ、怖いだろう肉食野郎め。
でもこの後は一体どうすればいいのかが問題です。シマウマは牙がありませんからそのままそのままむしゃむしゃとは食べられませんし、そもそも生肉は食いたくないのでオエっとなってしまいます。この体制の長時間は辛いはず…飲み込めもしないものを大口開けて長時間口の中に入れておくなんてこちらにとってもけっこうな拷問です。しかし肉食野郎を放してしまったらヤツはまたおそいかかってくるかもしれない。うーんどうしたものか。
ここは嫌でも我慢してあむあむと噛んでしまうほか方法はない。どうにも動けないのならばできることを試しながら進んでいくしか方法はないのだから。
そうして私は頑張って噛みます。でも草食ですから歯が平らで、すりつぶすようにしか噛めないのです。肉食野郎の頭をすりつぶすように噛む。するとやっぱり汁みたいなのが出てきてオエっとなり、肉食野郎を吐き出してからアイスコーヒーで口の中の不快を取り除こうとするように、その辺に生えているハーブ系の草をむしゃむしゃ食べてその場を凌ぐのです。
その隙に、頭をゴリゴリやられちゃった肉食野郎はあまりの恐怖に、涙目で去っていきます。世の中にはこんな進化をとげようと頑張っているシマウマもいるんだと身体でその恐怖を感じとったのです。さすが野生。そして肉を喰らうはずの肉食野郎はこれがトラウマになって草も食べるようになるかもしれません。それはそれでいいことです。(何が?
で、こんなことを何度か繰り返しているうちに、群れられないシマウマはこの戦法で肉食動物と戦うように進化していきます。すり潰し型の歯も少しづつ鋭くなってギザギザの牙になってきました。だけどその牙は身を守るときにしか使いません。普段は草を食べて大人しくしています。一人静かにひっそりと草を食べてわずらわしい群れにお世話になることなく、時々肉食野郎と戦ってはオエっとなりつつ身を守る。
ん、理想のシマウマだ。
…どうしてレバ刺しが食べられないという話からこんなことになってしまったのだろうか。まぁ実際レバ刺しのことはどうでもいいんです、私の食べ物じゃないし。ただ、レバ刺しというものを一生だべられない私は、一度でいいからレバ刺しっていう言葉を使ってみたかったってコトです。友人みたいに「レバ刺し食いてぇなぁ。」とは言えませんから。
どのみちレバーは煮ても焼いても食えませんけどね。フォアグラも嫌いですけどね。草食系な私は理想のシマウマ目指して頑張っときます。
今年は午年ですからね。
そんな感じで今年の年賀状をシマウマにした次第です。

模様があるってイイことだ。
「あ~レバ刺し食いてぇなぁ~。」
私はレバ刺しは食べられません。
何時だったか、ニュースになったレバ刺しの食中毒事件。平成24年7月から、食品衛生法に基づいて牛のレバーを生食用として販売・提供することを禁止したそうです。レバ刺しが食べられなくなったとニュースで騒いでいた時もとても不思議でした。
「世の中の人はみんなレバ刺しをこんなにも好んで食べていたのか…。」
と。
未知の世界。レバ刺しを食べたことのない私には全くもって未知であります。
なんでレバ刺しが食べられないのか…それは簡単な理由で「気持ち悪いから」でございます。基本ナマモノのダメは私は、動物系を生で食べようという考えがないのです。これってもしかして草食系ではないだろうか。もしも私が恐竜だったなら、生肉は食えませんからたぶん草食恐竜です。できれば大型のブラキオザウルスとかがいいです。でもアンキロサウルスのしっぽも捨てがたい。あんな楽しそうなしっぽがあったら24時間振り回していたいです、自動で。
人間は普通、ナマモノを食べられる生物であり、食べられない人の方がはるかに少ないはずです。うちの家族も私以外は好んでナマモノを食べておりますし、息子に至ってはお刺身なんかは大好物。なんで私にはそれが出来ないのだろうか…不思議です。やっぱり草食系だからだとしか考えられません。もしかしたら祖先はシマウマだったり、ぬーだったり、バンビだったりするのかもしれないのです。
正直、ぬーは勘弁してもらいたい、とか思ってしまうのは罪ですか…
じゃぁ、せめてシマウマ。馬になるんだったらただの馬よりも縞がある馬でありたい。きっとこんな向上心からシマウマは生まれたのだと思います。私もただの馬からどうにかして無理にでもシマウマになってやります。だけど群れでの生活がイヤになり、一人さまよう孤独なシマウマになります。私は何時の時代も群れられなくて苦労してきた人間なので草食系でありながらも群れをなせないという苦労を背負って生きていかねばならない運命なのです。しかしシマウマは団体で生活するからあの縞が役に立っているのに、群れられないわけですから大変です。一体どうやって身を守ればいいのやら…。
そこできっと考えるのでしょう。肉食動物におそわれて食われるのは嫌だ。肉は食えないけれどとりあえず噛みついてやろう…と。馬系かみつき攻撃は威力がなさそうですがきっと怖い。奥行きがある分、恐怖心を引き出せるはずです。肉食動物の頭を飲み込むように噛みついてやれば相手は噛みつけませんからものすごく怖い思いをすると思うのです。
はははは、どうだ、怖いだろう肉食野郎め。
でもこの後は一体どうすればいいのかが問題です。シマウマは牙がありませんからそのままそのままむしゃむしゃとは食べられませんし、そもそも生肉は食いたくないのでオエっとなってしまいます。この体制の長時間は辛いはず…飲み込めもしないものを大口開けて長時間口の中に入れておくなんてこちらにとってもけっこうな拷問です。しかし肉食野郎を放してしまったらヤツはまたおそいかかってくるかもしれない。うーんどうしたものか。
ここは嫌でも我慢してあむあむと噛んでしまうほか方法はない。どうにも動けないのならばできることを試しながら進んでいくしか方法はないのだから。
そうして私は頑張って噛みます。でも草食ですから歯が平らで、すりつぶすようにしか噛めないのです。肉食野郎の頭をすりつぶすように噛む。するとやっぱり汁みたいなのが出てきてオエっとなり、肉食野郎を吐き出してからアイスコーヒーで口の中の不快を取り除こうとするように、その辺に生えているハーブ系の草をむしゃむしゃ食べてその場を凌ぐのです。
その隙に、頭をゴリゴリやられちゃった肉食野郎はあまりの恐怖に、涙目で去っていきます。世の中にはこんな進化をとげようと頑張っているシマウマもいるんだと身体でその恐怖を感じとったのです。さすが野生。そして肉を喰らうはずの肉食野郎はこれがトラウマになって草も食べるようになるかもしれません。それはそれでいいことです。(何が?
で、こんなことを何度か繰り返しているうちに、群れられないシマウマはこの戦法で肉食動物と戦うように進化していきます。すり潰し型の歯も少しづつ鋭くなってギザギザの牙になってきました。だけどその牙は身を守るときにしか使いません。普段は草を食べて大人しくしています。一人静かにひっそりと草を食べてわずらわしい群れにお世話になることなく、時々肉食野郎と戦ってはオエっとなりつつ身を守る。
ん、理想のシマウマだ。
…どうしてレバ刺しが食べられないという話からこんなことになってしまったのだろうか。まぁ実際レバ刺しのことはどうでもいいんです、私の食べ物じゃないし。ただ、レバ刺しというものを一生だべられない私は、一度でいいからレバ刺しっていう言葉を使ってみたかったってコトです。友人みたいに「レバ刺し食いてぇなぁ。」とは言えませんから。
どのみちレバーは煮ても焼いても食えませんけどね。フォアグラも嫌いですけどね。草食系な私は理想のシマウマ目指して頑張っときます。
今年は午年ですからね。
そんな感じで今年の年賀状をシマウマにした次第です。

模様があるってイイことだ。
血が通う犬畜生を愛しいと思えた程恐ろしいと感じた機械の世界

正義のしるし、赤いマフラーの炭素野郎、いずきちです。
最近疲れると背中が痛いです。
なので背中をマッサージしようと、私はマッサージ機にかかろうと思ったワケですよ。
数日前の出来事です。
我が家には古いマッサージ機があります。座って椅子を倒すとローリングが気持ちいいヤツです。「ローリング」「たたく」「もむ」等のメニューを選び、自動設定で15分程マッサージしてくれるマッサージチェアっていうヤツです。
コイツには昔からお世話になってきました。
疲れて背中が痛い時、コイツにかかるとちょっとスッキリします。
首のあたりをもんでもらうのも気持ちいいです。
凝り固まった肩や背中にローリング!ロロロローリング~♪って歌いいたくなるくらい気持ちいい、正に正義のマッサージチェアなのです(正義ってナンダロナ)。
まぁ、とにかく私にはマッサージが必要だったのです。
うちのマッサージチェアというのはちょっと特殊な場所に設置してあります。
ダイニングデーブルの脇、テレビを乗せるカウンターの下に半分かかるような位置にあるのです。ですからマッサージチェアを使用する時は、少し手前にずらして使用すると、カウンターの板に圧迫感を感じさせられずいいカンジで使用できます。しかし、手前にずらさない状態で使用してもカウンターに顔がぶつかることはありません。十分な隙間はちゃんと確保されていますので、どうせ目をつぶるからと何度かそのまま使用しましたが、何の問題もありませんでした。
ですから私はその日、そのまま使用したわけです。
ローラーは腰からゆっくりと回りながら上がってきます。
気持ちいい。実に気持ちいいのです。
痛気持ちいい。
もしかして世の中のマゾはこの「痛気持ちいい」を求めているのでは?
とか思うほど、ああ~~痛キモチイ~
幸せの入口。
このローラーは幸せのローラー。
そしてこのローリングは最高だ。
じわじわとゆっくり上に移動しながら私に快感を与えてくれるステキなローラー様。
じっくりじわじわとローラーが上がってきて胸部くらいの位置に来た時に、ふと嫌な予感がしました。
なぜそんな嫌な予感がしたのかといいますと、胸部であるのに、しかも割と平らな胸部であるのに、なんだかいつもよりカウンターとの隙間がない…というより、拳一つくらいしか入らないくらいの隙間しかないけど、コレこのままローラーが上にいっちゃったらヤバイんでないの?顔が…
という、予感というよりも「嫌な予測」が正しいかもしれません。
しかし、意外とこのローラー。動きはゆっくりかもしれませんけど、「嫌な予測」を脳が感じている状態からけっこう一瞬で顔面部分に移動しちゃうんですよ。
次の瞬間、私の悲鳴、絶叫ですけどもね、我が家に響き渡りました。
顔が挟まったんです。
カウンターとマッサージ機の間にギッチリと挟まり、それでも止まらないそのローラーにものすごい恐怖を覚えながら、このままでは絶対顔面を骨折してしまうと思い、多少の傷が残ってもいいから強引に横に持って行って引き抜かなくてはイケナイと思い、実行しました。
一瞬の出来事でしたが、私はこの時、機械の恐怖に鳥肌を立てながら冷や汗を流し、そして、昔闘った大きな犬のことなんて思いだしていました。
大きな犬に噛まれた時は死んでしまうと思ったけれど、でも犬はやっぱり生き物で、私が気合で叫んだり暴れたり蹴飛ばしたりすればそれなりに怯むんです。
だけどローリングローラーは私がどんな悲鳴を上げても、どんなに暴れてもその動きを止めることはなく、ひたすら一定の速度で先へ先へと進もうとするのです。
恐怖というのはこんな身近にあるものなのか…。
機械の冷たさに、正義の熱は通じない…。
怖かったです。
心臓はバクバクしました。
そしてものすごく痛かった。
顔面破壊、頭蓋骨骨折、こんな死に方は絶対に嫌だ!
強引に横にズッポンと自分の頭蓋骨を引き抜くことに成功したから今の私がいるのですが、もしも失敗していたら頭蓋骨骨折で死んでいたかもしれない…うーん、なんと恐ろしいことだろう。
とにかく脱出はできたワケですが、脱出後、うずくまりながら唸り声を上げつつ痛がっている私の脇で、何事もなかったかのようにローリングローラーは動き続けていました。
幸せのローラー様は一瞬にして恐怖のローラーへと変貌を遂げたのです。
この時の私の頭の中のBGMは「グレムリン」。
こんな目にあって犬とグレムリンの走馬灯を脳内に発生させる私。
バカだと素直に思いました。
しばらくファンデーションを塗る作業にも眉毛を描く行為にも支障をきたすほど痛かったです。
左の眉毛の辺りと、左の頬骨の辺りが触ると痛くて、マッサージチェアを見るとゾッとしてました。
ところで、なぜ、こんなことが起きてしまったのかというと、それはとても単純でアホらしいことなのですが、マッサージチェアの下になぜか入り込んでいた「バスマット干し」の上に倒れるはずの背もたれがのっかってしまっていつものように下がらなかったという理由です。
なんでこんなとこにそんなもんを置いておくんだ、母よ…。
気付かなかった私も私だけどさ、そんなもんがあると思わないじゃん。
まぁ、顔面がそこそこ無事でヨカッタです。
顔面、(そこそこ)大事、大事(`´)…だぶんw
そんなカンジのワタクシでございます<(_ _)>
機械には気をつけた方がいいぜ。
本当の恐ろしさとは一体ナンダ
ものすごく陰険でゾゾ~っとしてしまう感情とは別に、心の底から申し訳なかったと思う気持ちと、でも考えたら超気持ち悪くてオエっとなって、だけどそれは確実に現実に自分がしでかしたことで……。
今でも本当に悪いと思っています。
ただ、それだけなんですけれども思い出すんですよ、時々…。
美容室や○○サロンというトコロには、女性向けの雑誌や漫画なんかが置いてあります。待ち時間にパラパラとめくるために置いてあるそれらの雑誌を、私はそういうところ以外で目にすることはまずありません。
女性セブンとか、嫁姑の怖い話とか、それ系。
ファッション誌は時々見たりしているので、普段あまり見る機会のないそれ系雑誌を好んでパラパラします。すると、鬼のように陰湿な場面なんかに出会ったりするのです。
例えば、気に入らない上司のお茶にぞうきんのしぼり汁を入れた挙句に、唾を垂らして鼻くそも入れてやったというOLさんのお話とか、姑のお味噌汁に生ごみの汁を入れた挙句に、水虫の皮を入れてやったとかいうお嫁さんのお話…。
怖い!

怖すぎるよ!(↑これもね
僕はそんな怖さは嫌いだ!苦手だ!
うわぁあああああっと叫びたくなるくらい怖い!
これなら切り刻み系変態の方がまだマシだ!
と、本気で背筋が凍りついたような気分になります。
でも意外とそんなことを実行している人間、特に女性がいるのかもしれないと思うと、可愛い女の子の笑顔とその裏に隠された本質が怖くなったり、明るい笑顔で入れてくれるそのお茶が飲めなかったりします。
私にはできません。どんなに嫌いな相手でもできない。そんなことをするくらいなら、
「おまえが嫌いだ。」
と、はっきり面と向かって言います。(バカだから)
雑巾汁も水虫の皮の唾も鼻くそも無理!
そんなことしてほくそ笑むことはできません。
だって気持ち悪いじゃないですか。
そればかりは本当に本心でございまして、私自身がオエっとなってしまうのですから、そういうことは私にはどんなに心を鬼にしたとしても絶対にできないのです。
それなのに…
それなのに、
私には謝っても謝っても許されない過去が存在してしまうのです。
その昔、彼氏の家に足しげく通う若き日の可愛らしい私。
その頃の私は仕事もしていましたが、家事(?)も一応こなしておりました。ここで私の言う家事というのは主にお掃除のことです。今でも家事と言える行動の中で唯一マトモにできるのがお掃除でございますが、とにかく昔から汚い空間が嫌いで、せっせとお掃除をするお掃除野郎だったのです。
当時の独身者用のマンションは、バスとトイレが一緒になっているタイプが多く、彼の部屋もそのタイプでした。そういう作りのバス・トイレというのは、換気機能の弱い狭い箱のような作りですからとにかくカビが生えやすい。私はそのカビが大嫌いで、カビのあるバスでシャワーを浴びるのも嫌になってしまいますから、彼の為というよりは自分の為にカビを除去するためのお掃除に精を出してしまうのです。
それから洗面所とトイレも一緒の空間に作られておりましたので、そのまま洗面台や便器をキレイに掃除するわけです。繋がった空間なのですからやはり隅から隅までキレイにしてしまいたいと思うではないですか。洗面台も便器もピカピカの方が気持ちいいですしね。
でも洗面台の細かいトコロや便器の淵の裏側等、ソレ専用のブラシでも本当に細かいところまでは行き届きません。ですから私は古くなった歯ブラシを使って、洗面台の溝や便器の淵の裏なんかをゴシゴシとこすり、ピカピカに仕上げました。
便器においては、普通の大きなブラシでゴシゴシしても頑固なこびりつきなんかがとれなかったりします。ぶっちゃけ、水面より上にう○こがくっついて渇いてしまうと固くなってとれにくいという状況です。そんな時にも使用済み歯ブラシはピンポイントで力を注げますからとても役に立つのです。
私はまず、洗面台を隅から隅まで磨き上げ、それから便器の淵、最後に便器内のこびりつき、と、正しい順番を経て使用済み歯ブラシでピカピカ作業を終えました。ちなみにこの順番も大事です。便器内のこびりつきう○こを取った後に、洗面台の中を磨きたくはありません。だからきちんと考えて行わなければいけない、頭を使う計画的ピカピカ作業なのです。
全ての行程を滞りなく行い、瑞々しくも爽やかなミント系の香りが漂うようになったバス&トイレ。私はとても満足でした。あとは使用済み歯ブラシを捨て、扉を閉めて電気を消すだけです。その後は気持ちよくアフタヌーンティーでもいただいて、彼氏とラブラブな時間でも過ごそうかしら?
と、その瞬間、ピーロリロピーロリロ ピーロリロリ~♪
私の携帯の着信音が鳴りました。忘れもしない、フライミートゥーザムーン。
(当時の私の着信音はフライミートゥーザムーンですが、特にエヴァを意識したワケではありません。)
あ~電話だ~(@_@)
私は、手に持っていた使用済み歯ブラシを置き、バス・トイレを出ました。
この時、この歯ブラシをどこに置いたか…
それは洗面台の端。
ゴミ箱にポイと捨てれば良いものを、私は洗面台の端にちょこんと置いてしまったでのす…
ワザとではありませんでした。本当にワザとではないんです。
本当に本当に本当にワザとじゃないんだ!
そして…悲劇は起こったのです。
私はその歯ブラシで歯を磨く彼の姿を見て蒼白になりながら、事実をどのように彼に伝えるべきかを考えました。どこまで本当の事を伝えるべきか。とりあえず急いでその行動を止めねばなりません。私には見るのもおぞましいくらいに激ヤバなシーンに見えるのです。
だってソレ、便器のう○コとかゴシゴシしちゃった歯ブラシなんですよ?
私は言葉を選らんで小さな声で言いました。
「あの…その歯ブラシはお掃除用…。」
「ん?」
何も知らずに歯を磨く彼の疑問符的な表情の妙な可愛らしさが、けっこうな攻撃力の刃に感じられたのは私の心の闇の重さを表わしているようでした。
その後、どこまで話していいのかわからなくなってすっかりパニックに陥った私は、洗いざらい正直に全てを話してしまい、彼氏に泣きながら激怒されました。全てを正直に話す罪深さをここで学んだような気がします。
彼は本気の涙を流しておりました。
私も泣きました。
そしてあってはならないのかもしれませんが、正直、コイツとは一生キスできないとまで思ってしまいました。思う事はやめられません。思わないようになんて自分で自分を操作はできません。罪悪感というものに本当に押しつぶされて死ぬ病気があったとしたら確実に私は死んでしまうだろうと言ってもいいほどに罪悪感の嵐でしたが、残念ながらそんな罪悪感なんてものでは死にません。
罪悪感ごときで私は死なない。
しかし、その罪悪感を抱え、きちんとその彼と付き合って行くことこそが私の犯してしまった罪に対しての償いになるのではないかとも思いました。唇を重ねる度にオエっとなるのを我慢しつつ、洗面台や便器にしっかりとこびりついたカビや滑りやう○こを擦り剥ぎ取った正義の使用済み歯ブラシが行きついた彼の口を想像するのです。
これは地獄だ。
だからヤダ。
だって気持ち悪いんだもん。
「貴方はこの事実を知らない女性を愛するべきだ。そしてこの事実は深く深く封印するべきだ。決してその女性に話してはならない。だから私は去る。もうお互いが幸せに生きるにはそれしかない…。」
心からそう言いたかったのだけれど、さすがに真顔でそんなことを言ったら殺されると思ったので、思ったけれど言いませんでした。
恨みのこもった目を私に向けて、何度も何度も
「バカ-!バカー!バカ-!ふざけんな!うわぁああああ!」
と、気持ち悪がる彼が本当にかわいそうでした。でも私は彼のあまりの打ちひしがれようがちょっとだけ面白くなってしまい「くすっ」と笑ってしまったのも事実。
私は罪悪感ごときで笑いを押しこめることが出来ない女です。
そして自分がしでかしたことなのに、気持ち悪いから別れちゃおうかなとか思っちゃうのが鬼もびっくりな悪魔の所業。これだもの、そりゃ道徳の時間には吊るしあげられるワケですよ。ふははは。
本当の恐ろしさとは一体ナンダ…。
ごめんなさい…ホントすんません…
そしてこの記事を「恋愛」カテゴリの「愛のかたち」というテーマに投稿するという、これまたふざけたことをしてしまうワタクシなのでありました(-。-)y-゜゜゜
えっとね、良いお年を。
今でも本当に悪いと思っています。
ただ、それだけなんですけれども思い出すんですよ、時々…。
美容室や○○サロンというトコロには、女性向けの雑誌や漫画なんかが置いてあります。待ち時間にパラパラとめくるために置いてあるそれらの雑誌を、私はそういうところ以外で目にすることはまずありません。
女性セブンとか、嫁姑の怖い話とか、それ系。
ファッション誌は時々見たりしているので、普段あまり見る機会のないそれ系雑誌を好んでパラパラします。すると、鬼のように陰湿な場面なんかに出会ったりするのです。
例えば、気に入らない上司のお茶にぞうきんのしぼり汁を入れた挙句に、唾を垂らして鼻くそも入れてやったというOLさんのお話とか、姑のお味噌汁に生ごみの汁を入れた挙句に、水虫の皮を入れてやったとかいうお嫁さんのお話…。
怖い!

怖すぎるよ!(↑これもね
僕はそんな怖さは嫌いだ!苦手だ!
うわぁあああああっと叫びたくなるくらい怖い!
これなら切り刻み系変態の方がまだマシだ!
と、本気で背筋が凍りついたような気分になります。
でも意外とそんなことを実行している人間、特に女性がいるのかもしれないと思うと、可愛い女の子の笑顔とその裏に隠された本質が怖くなったり、明るい笑顔で入れてくれるそのお茶が飲めなかったりします。
私にはできません。どんなに嫌いな相手でもできない。そんなことをするくらいなら、
「おまえが嫌いだ。」
と、はっきり面と向かって言います。(バカだから)
雑巾汁も水虫の皮の唾も鼻くそも無理!
そんなことしてほくそ笑むことはできません。
だって気持ち悪いじゃないですか。
そればかりは本当に本心でございまして、私自身がオエっとなってしまうのですから、そういうことは私にはどんなに心を鬼にしたとしても絶対にできないのです。
それなのに…
それなのに、
私には謝っても謝っても許されない過去が存在してしまうのです。
その昔、彼氏の家に足しげく通う若き日の可愛らしい私。
その頃の私は仕事もしていましたが、家事(?)も一応こなしておりました。ここで私の言う家事というのは主にお掃除のことです。今でも家事と言える行動の中で唯一マトモにできるのがお掃除でございますが、とにかく昔から汚い空間が嫌いで、せっせとお掃除をするお掃除野郎だったのです。
当時の独身者用のマンションは、バスとトイレが一緒になっているタイプが多く、彼の部屋もそのタイプでした。そういう作りのバス・トイレというのは、換気機能の弱い狭い箱のような作りですからとにかくカビが生えやすい。私はそのカビが大嫌いで、カビのあるバスでシャワーを浴びるのも嫌になってしまいますから、彼の為というよりは自分の為にカビを除去するためのお掃除に精を出してしまうのです。
それから洗面所とトイレも一緒の空間に作られておりましたので、そのまま洗面台や便器をキレイに掃除するわけです。繋がった空間なのですからやはり隅から隅までキレイにしてしまいたいと思うではないですか。洗面台も便器もピカピカの方が気持ちいいですしね。
でも洗面台の細かいトコロや便器の淵の裏側等、ソレ専用のブラシでも本当に細かいところまでは行き届きません。ですから私は古くなった歯ブラシを使って、洗面台の溝や便器の淵の裏なんかをゴシゴシとこすり、ピカピカに仕上げました。
便器においては、普通の大きなブラシでゴシゴシしても頑固なこびりつきなんかがとれなかったりします。ぶっちゃけ、水面より上にう○こがくっついて渇いてしまうと固くなってとれにくいという状況です。そんな時にも使用済み歯ブラシはピンポイントで力を注げますからとても役に立つのです。
私はまず、洗面台を隅から隅まで磨き上げ、それから便器の淵、最後に便器内のこびりつき、と、正しい順番を経て使用済み歯ブラシでピカピカ作業を終えました。ちなみにこの順番も大事です。便器内のこびりつきう○こを取った後に、洗面台の中を磨きたくはありません。だからきちんと考えて行わなければいけない、頭を使う計画的ピカピカ作業なのです。
全ての行程を滞りなく行い、瑞々しくも爽やかなミント系の香りが漂うようになったバス&トイレ。私はとても満足でした。あとは使用済み歯ブラシを捨て、扉を閉めて電気を消すだけです。その後は気持ちよくアフタヌーンティーでもいただいて、彼氏とラブラブな時間でも過ごそうかしら?
と、その瞬間、ピーロリロピーロリロ ピーロリロリ~♪
私の携帯の着信音が鳴りました。忘れもしない、フライミートゥーザムーン。
(当時の私の着信音はフライミートゥーザムーンですが、特にエヴァを意識したワケではありません。)
あ~電話だ~(@_@)
私は、手に持っていた使用済み歯ブラシを置き、バス・トイレを出ました。
この時、この歯ブラシをどこに置いたか…
それは洗面台の端。
ゴミ箱にポイと捨てれば良いものを、私は洗面台の端にちょこんと置いてしまったでのす…
ワザとではありませんでした。本当にワザとではないんです。
本当に本当に本当にワザとじゃないんだ!
そして…悲劇は起こったのです。
私はその歯ブラシで歯を磨く彼の姿を見て蒼白になりながら、事実をどのように彼に伝えるべきかを考えました。どこまで本当の事を伝えるべきか。とりあえず急いでその行動を止めねばなりません。私には見るのもおぞましいくらいに激ヤバなシーンに見えるのです。
だってソレ、便器のう○コとかゴシゴシしちゃった歯ブラシなんですよ?
私は言葉を選らんで小さな声で言いました。
「あの…その歯ブラシはお掃除用…。」
「ん?」
何も知らずに歯を磨く彼の疑問符的な表情の妙な可愛らしさが、けっこうな攻撃力の刃に感じられたのは私の心の闇の重さを表わしているようでした。
その後、どこまで話していいのかわからなくなってすっかりパニックに陥った私は、洗いざらい正直に全てを話してしまい、彼氏に泣きながら激怒されました。全てを正直に話す罪深さをここで学んだような気がします。
彼は本気の涙を流しておりました。
私も泣きました。
そしてあってはならないのかもしれませんが、正直、コイツとは一生キスできないとまで思ってしまいました。思う事はやめられません。思わないようになんて自分で自分を操作はできません。罪悪感というものに本当に押しつぶされて死ぬ病気があったとしたら確実に私は死んでしまうだろうと言ってもいいほどに罪悪感の嵐でしたが、残念ながらそんな罪悪感なんてものでは死にません。
罪悪感ごときで私は死なない。
しかし、その罪悪感を抱え、きちんとその彼と付き合って行くことこそが私の犯してしまった罪に対しての償いになるのではないかとも思いました。唇を重ねる度にオエっとなるのを我慢しつつ、洗面台や便器にしっかりとこびりついたカビや滑りやう○こを擦り剥ぎ取った正義の使用済み歯ブラシが行きついた彼の口を想像するのです。
これは地獄だ。
だからヤダ。
だって気持ち悪いんだもん。
「貴方はこの事実を知らない女性を愛するべきだ。そしてこの事実は深く深く封印するべきだ。決してその女性に話してはならない。だから私は去る。もうお互いが幸せに生きるにはそれしかない…。」
心からそう言いたかったのだけれど、さすがに真顔でそんなことを言ったら殺されると思ったので、思ったけれど言いませんでした。
恨みのこもった目を私に向けて、何度も何度も
「バカ-!バカー!バカ-!ふざけんな!うわぁああああ!」
と、気持ち悪がる彼が本当にかわいそうでした。でも私は彼のあまりの打ちひしがれようがちょっとだけ面白くなってしまい「くすっ」と笑ってしまったのも事実。
私は罪悪感ごときで笑いを押しこめることが出来ない女です。
そして自分がしでかしたことなのに、気持ち悪いから別れちゃおうかなとか思っちゃうのが鬼もびっくりな悪魔の所業。これだもの、そりゃ道徳の時間には吊るしあげられるワケですよ。ふははは。
本当の恐ろしさとは一体ナンダ…。
ごめんなさい…ホントすんません…
そしてこの記事を「恋愛」カテゴリの「愛のかたち」というテーマに投稿するという、これまたふざけたことをしてしまうワタクシなのでありました(-。-)y-゜゜゜
えっとね、良いお年を。