私は根性無しである

いつも母にお弁当を作ってもらっている、40過ぎの女性としては大失格の私。
でもまぁ、それはいいのです。どのみち女性として失格なのはもう何十年も前…いや、生まれたときからだと言っても過言ではありません。性別をこの上なくこじらせてきた私ですから、結婚できただけでも奇跡です。
そして毎日お弁当を持って出社していたわけですが、今日は土曜日で、息子とダンナ様と弟のお弁当を作る必要がないので、私のお弁当もなしで…なノリだったので、パントリーからカップラーメンを一つ持ちだして出社致しました。
いくら何もできない私でも、カップラーメンは作れます(当たり前)。
若かりし頃、インスタントラーメンを煮る作業がイヤで、カップラーメンに走っていた私は、カップラーメンを食べ過ぎて、そのパッケージを見ると鳥肌が立つという、カップラーメン恐怖症というアホらしい病状を発生してしまったことがありますが、今となっては懐かしい日々の遠い思い出でございます。
今はたまにしか食べないカップラーメンに対して、「まぁ、いいでしょう。」と言ってやれます。オトナになると心が広くなると言いますが、正にこの状況がそれを物語っております。
そして私は午前中の仕事を終え、そろそろお昼にしようとカップラーメンのフタを開け、お湯を注ぎました。几帳面で繊細な性格であるA型人間の私は、お湯の量に最新の注意を払います。少なすぎず多すぎず…線ぴったりでなくてはいけません。この線に関しては、カップラーメンの開発者が「ここだ!」と鬼のように主張しているように感じられます。ものすごい自信を感じるのです。お湯をこの線ぴったりに入れさえすれば、誰にでも美味しいカップラーメンが出来上がるんだぞ!と。
でも逆にその線に従わなかったら一切の責任はもてないということになります。
おまえがお湯の量を守らないことに関しては呪われたって文句は言えないぜ…と。
だからとにかく私は、呪われないためにも線ぴったりにお湯を入れたのです。
そして次に問題になるのは「熟成」を待つかのようなウルトラマンタイム、3分。
これも本当は秒単位で管理しなくてはいけない問題なのに、世の中の人々は「だいだい」とかいう私が嫌いな言葉を使って適当なことをしようとする。私は料理の何が嫌いかって、「少々」とか「ざっくり」とか「一つまみ」とか「だいたい」とか、その何を基準にしているのかはっきりしてくれとお願いしたくなってしまうような言い回しが、泣きそうになるくらい嫌いなのです。
貴様の一つまみと私の一つまみは確実に違うではないか!
ざっくり混ぜろと言われてもそのざっくりさ加減がわからん!
混ぜすぎるなと言われるのがものすごいストレスだ!
混ぜるという行為は好きだが、好きなだけ、心ゆくまで混ぜたいのであって、途中でやめろといわれたらテンションが地の底に落ちてしまうではないか!
と、とにかくその表現に気に入らない要素がありすぎる為、私は料理を一切やめたのです。
でもカップラーメンというのは、食べられる状態にする行為の中に私の嫌いな要素が一つもありません。全てきちんとした指示があり、それさえ守れば美味しく食べられるという点では大変優秀なのです。一時期は食べ過ぎて嫌いになってしまったこともありますが、それでもカップラーメンは私に不快を与えない唯一の料理(料理?)と言っていいと思います。
そんな私が、カップラーメンのウルトラマンタイムをいい加減に計るなどということをするワケもなく、スマホのストップウォッチの準備してからお湯を入れました。
ストップウォッチに表示される数字が目まぐるしく変わる横で、お湯を入れつつ一瞬で考えることは、今お湯に浸された下の方の麺と数秒後にお湯に浸るであろう麺。ここには約3秒くらいの差が生まれてしまうが、それをどうにか回避する方法はないものか…と。しかしそこまで神経質になってしまっては何かの病気だと判断されて変な病院に入れられてしまうかもしれない。考えるのはよそう。
お湯が線まで入りきると、麺がお湯に浸るまでの3秒の誤差のことはすぐに忘れてしまうので、これが病気だとしても病状は軽く、生活に差し障りはないので何の問題もありません。
そしてその時、チリーンとドアの開く音がしてフロアへ出るとお客様が。
いつも大変お世話になっている、年配のお客様でした。
お客様がいらっしゃった場合は例えお昼であろうと関係ありません。
約二時間、丁重に接客をさせていただきました。
途中ストップウォッチを止めに行く私に気を使うお客様でしたが、私は「ええ、迷惑メールですよ。」と笑顔を崩さず接客に努めました。
さて、お客様がお帰りになった後の、お湯を入れてから二時間たったカップラーメン。
そんなカップラーメンとの対面。
私はそんなに時間を置いたカップラーメンを見るのはこれが初めてでした。
なぜかわかりませんが、頭の中には「死体遺棄」という言葉が浮かびました。たぶん、コレをどうにかしなくてはいけないという想いからだと思います。カップラーメンは3分たって、出来あがり、そして食す時間であろうその後の5~8分くらいまでは「生きて」いたのだと思います。生温かく肥大化した麺。美味しそうには見えない、醜さがありました。しかしこのカップラーメンは、まだ手もつけられていない。処女です。処女の水死体のごとく、肌のような麺の色だけが黄色くツヤツヤと輝いているようでした。
私はおもむろに液体スープの封を切り、黄色く輝くふくれた麺の上にたらたらと注ぎました。何の味も知らないその麺の最後の餞(はなむけ)になるだろうかと思いながら。
そして麺に吸われてほとんどなくなってしまった、わずかに残るお湯に溶け込ませるように混ぜました。
店内では、マイケルジャクソンのビリージーンが流れていました。
Billie Jean is not my lover …
ビリージーンは僕の恋人じゃないと言い訳をするように、このカップラーメンを殺したのは私じゃないと主張したくなりました。わざとじゃない。仕方がなかったんだと。多分マイケルもきっとそうだ。そんなつもりじゃないんだよ、ホントにさぁ…っていう心の叫びに少しだけシンクロしながら、何度もビリージーンのサビを歌いながら極端に汁の少ないカップラーメンをぐるぐるぐるぐるとかき混ぜました。切なさが残り、それでもまだ「遺棄」にまではたどり着かないその状況に辛さが混じっているような重たい気分で。
さて、どうするかな…
実は私はそんなに暇人なワケではありません。実際、忙しいのです。やらなくてはならないこともたくさんあるのですから、いつまでもビリージーン気分というわけにもいかないのです。
ざっくり捨ててしまおうかとも思ったのですが、捨てた瞬間に今日のお昼ご飯は抜かざるを得ないことになります。
ふやけた麺が食えなくて戦地で生き延びられるか!
ああまったくそのとーり。
処女を処女のまま捨て去るなんて正に悪魔の所業!
ああまったくそのとーり。
アレは死体ではなく、ばーさんである。食べられます、食べないさい!
ああ…うん…なんとなくはわかってる。けど喰いたくはない。いろんな意味で。
食べられるものを食べずに捨てるなんていうことができてしまう、この飽食の時代。
そんな時代に踊らされている私は、そこに反骨精神なるものをぶつけてこそロッカーなのだと、根性でカップラーメンの死体…いやばーさんを食べることにしました。お湯の量や時間に関してあれほどまでに正確さを求める私が、二時間というありえない時間を過ごしてしまったカップラーメンに手をつけることはかなり勇気のいることです。処女のおばあさんとラブホテルに入るようなもんです。
しかし愛と勇気で乗り切ることを選んだだ私は、そのカップラーメンを一口食べました。
ぴしっ…と脳内で擬音が発生しそうな程にその不味さといったら、言葉にできないものでした。
しかし私は黙ってもくもくと食べました。
ブフォッっ
そして私は根性なしであることが発覚しました。
もともと「食」に関して最弱である私には、半分も食べられませんでした。
「もぉいいや。飴でも食べよっと。」
根性のある人間を目指す前に、私は根がろくでなしですから、まずそこを治さないとお話になりません。そしてろくでなしなのは魂ですから、おそらく死んでも治りません。
そんな日もある的日常。

申し訳ございません<(_ _)>
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コメント
完璧に作り上げたカップラーメン。
いざ食べようとした瞬間、突然訪問して来た年配のお客様。
カップラーメンをそわそわと気にしながらもお客様を接客する人妻。
そして二時間後に見たその麺は・・・・
生温かく肥大化した麺と死体遺棄とマイケルジャクソンのビリージーンが、じんわりと僕の脳に染み込みました。
きっと、これでまたカップラーメンを食べる度にいずきちさんを思い出す事でしょう。
因みに、今でも僕は居酒屋の座敷からトイレに行こうとする度に、お客のサンダルを履いていたといういずきちさんを思い出し、一人でクスっと笑っております。
【2014/06/08 09:25】
URL | 愚人 #04Yc0YDc [ 編集 ]
URL | 愚人 #04Yc0YDc [ 編集 ]
>愚人さん
愚人さんこんにちは(^O^)/
カップラーメンの死体…いや、ばーさんは食えたものではありませんでした。とんでもないものでした。時間が経ってしまう事によって、美味しいものは美味しくなくなるんです。美味しくなくなっても放置しておくとそのうち腐るんです。世の中にはそんなふうに美味しくなくなったあげくに、腐ってしまったものがはびこっているかもしれません。もしかしたら私も本当はすでに腐っているのかもしれません。(いやほとんど腐ってる
腐ってもロッカー。ロッカーは人のサンダルを履く。これが常識になればいいのに。
相変わらずくだらない日常を過ごしておりますが、人生は楽しすぎます。
愚人さんこんにちは(^O^)/
カップラーメンの死体…いや、ばーさんは食えたものではありませんでした。とんでもないものでした。時間が経ってしまう事によって、美味しいものは美味しくなくなるんです。美味しくなくなっても放置しておくとそのうち腐るんです。世の中にはそんなふうに美味しくなくなったあげくに、腐ってしまったものがはびこっているかもしれません。もしかしたら私も本当はすでに腐っているのかもしれません。(いやほとんど腐ってる
腐ってもロッカー。ロッカーは人のサンダルを履く。これが常識になればいいのに。
相変わらずくだらない日常を過ごしておりますが、人生は楽しすぎます。
【2014/06/11 18:01】
URL | 立方晶窒化炭素 IK #- [ 編集 ]
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